みっくすべじたぶる
日々の徒然・同人話題。ジャンルいろいろ。
レビューは容赦なくネタばれます。ご注意。
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最後の西遊記。
一日遅れたが、西遊記の最終回を見た。
旅を続ける一行、くだらない理由でじゃれあいつつ進んでいると、食べ物と飲み物を求めた者たちに襲われる。気を失った三蔵が気がつくと、一人助けられていて、助けたのは天竺からきた新しい共の者だという。妖怪は天竺に入れないという言葉に憤り、彼らと共にでなければ天竺には入らないと言い切る三蔵。捕まっていた3人を助けると、3人は天竺に殴り込みだ!といきり立って見せる、わざと。門に辿り着いた三蔵を門の中へと入れてやり、自分たちはここでと別れを告げるのだった。
なんかね、みんな一緒に!と一生懸命な三蔵がかなりいじらしい。確かに阿保で(マテ)お人よしで(・・・)頑固だけれど、とにかくこの人は一度懐にいれた者に関してはとことん優しいのだろう。だからこそ3人はお師匠さんが好きなんだろうし、信頼しているのだろう。故に3人は、自分達の願いよりもお師匠さんの願いを優先し、自分たちは大人しくその場を去る。実にカッコいい。お師匠さんは三人にそれぞれの鈴を渡し、3人の思いを胸に天竺へと入る。
しかし話はここで終わらないのでありました。(どどーん)
人を世界を救うお経を授けてくれるはずだった天竺にいたのは、実に高慢ちきで人や妖怪をひたすら見下すもの達。そして三蔵に告げる、「99日の修業の後に死んで自身が経になれ」・・・・・三蔵はそれを受け入れ、老師には3人に事の次第を伝えないようにと願う。
そして3ヶ月、3人はそれぞれの生活を送っていた。
子供を育てに帰った八戒、いつのまにやら金魚と寄りを戻した沙悟浄はまぁともかく、天竺側に残って畑を作る生活を選択した悟空。天竺の経なんかで貧しく餓えた人は救えない、大地に根ざした労働だけが日々の糧を得る。そしてそれによってもたらされる実りは人の笑顔も実らせるんだ、という理屈をここのシーンで見せてますね。三蔵が求めた救いは天竺にはないのだと。実際三蔵大ピンチなのですが(爆)
さてここに凛凛がいきなり登場。いきなり登場していきなりぶっ倒れる。・・・・なんで?(笑)例えば天竺に(泥棒で(爆))忍び込み、三蔵の現状を知って三人に知らせようとする途中に見つかってぼこられた。っつーなら、いきなり瀕死で出てきても驚かないんだけど。何の脈絡もなく凛凛なので、少々面食らう。このドラマはいつもそーなのだ。何かがいつも突然だ。伏線の張り方がへたくそというか。ぜんぜん張ってないというか。それとも見落としているだけなのか。
事情を知った悟空はナマカの元へ飛び、お師匠さんを助けに行こう!と言う。沙悟浄のわざと後ろ向きな覚悟確認にも怯まずに天竺へと駆けつける3人。さあお師匠さんを探せ!ていうか見張りが一人しかいないよ(^^;ここの警備体制って(^^;とにもかくにも三蔵を見つける悟空。しかし閉じこもって死の運命を受け入れようとする三蔵。ここで二人が互いの思いを告げあう。500年も待ったのにあっさりいなくなってしまうのか、人間にとって一番大事なのは生きることだ!と説得する悟空。悟空の手の温かさに真実を見つける三蔵。その時二人を中心に不思議な光の広がりが。自分の意思で牢を出る三蔵。しかし脱出には失敗する(爆)
自分達を見下し、3人を馬鹿にする天竺の者達に怒る三蔵。自分達に逆らうものを許さないと、天竺の者たちは三蔵を追放する。そこへ老師に逃がしてもらった3人が駆けつけて、今度こそ脱出を・・・・しかし悟空が一人残る。4人を追撃するために準備をしているのを察知して、一人盾になって残ったのだ。しかしお師匠の教えを守り、反撃しないでぼこられる悟空。最早死ぬばかりか、というところへ鈴を鳴らしてもどって来る三蔵、沙悟浄、八戒。ナマカだからと。
このドラマシリーズはとにかく説教臭いのが特徴だ。台詞がことごとく説教臭い。まぁそこがいいといえばそうなのだが。いつもは妖怪に説教するが、今回は天竺の高慢な者達に説教する。頑張ったものが一番偉い、と。
既になんだかぼろぼろで、反撃も出来そうにない4人だが、また不思議な光が広がって、広間の者達を行動不能に。いまのうちだ!と天竺を脱出する。命からがら逃げついた廃墟の建物に、瓶からうまそうに水を飲む男が一人。水をくれ、というのをスルーされたので、イラついて怒鳴りつける悟空だがいいようにあしらわれる。この、悟空をあしらって見事な棒術を披露した男。じつはお釈迦様で、マチャアキなのだ(爆)悟空をやっていたころのような見事な棒術を披露し、BGMにゴダイゴのモンキーマジックが流れ、後の悟空の頭の輪を取るシーンとともにマチャアキ版孫悟空へのいいオマージュになっている。
4人がみんなで自分が悪い、罰を!というので、お釈迦様は罰を下すと言う。そして4人に与えられた罰は。それは三蔵がずっと求めていたお経の山だった・・・・!
罰と言ってますがこれはご褒美だろう。自分の力で頑張ったものが一番偉い!というのが今回の軸で、故に正しく頑張ったものには正しく報われるべきなのだと。3人の妖怪の願いは叶わなかったかもしれないけれど、それ以上に素晴らしいものを手に入れ、三蔵はそれに加えて更に経も手に入れて帰還することになったのだから。
・・・・・・・がっ。
ラストでちょっとしたどんでん返しが(爆)お釈迦様が何者かにさらわれて、お経の力がなくなったから助けにいくよ!と・・・・・まてやー!!(笑)お釈迦様がさらわれてどーすんだヨ(爆)ていうかそんなのがこの世界観の中に存在するのか?(笑)
とはいえ。なんだか西遊記は、旅が終わってしまうのがとても寂しい話なので(爆)(マチャアキ版も天竺にたどり着かずに終わったと思うし)なんかこの4人の旅が、いつまでも続くといいなーとか不思議なことを思ってしまうわけなのですよ。本当は旅が終わって平和になるのが一番のはずなのにね(笑)あの、つっこみつっこまれボケてボケられの漫才のような旅が、そんなに危険でも悲しいこともなく続くといいね。ていうか、どこかでまだ旅の途中かもしれない、ね。
マチャアキの役どころ(ていうか使い方)にはかなり満足でした。
配役は予想通りでしたが(爆)「これ痛いんだよね〜」もサイコーでしたよ!
旅を続ける一行、くだらない理由でじゃれあいつつ進んでいると、食べ物と飲み物を求めた者たちに襲われる。気を失った三蔵が気がつくと、一人助けられていて、助けたのは天竺からきた新しい共の者だという。妖怪は天竺に入れないという言葉に憤り、彼らと共にでなければ天竺には入らないと言い切る三蔵。捕まっていた3人を助けると、3人は天竺に殴り込みだ!といきり立って見せる、わざと。門に辿り着いた三蔵を門の中へと入れてやり、自分たちはここでと別れを告げるのだった。
なんかね、みんな一緒に!と一生懸命な三蔵がかなりいじらしい。確かに阿保で(マテ)お人よしで(・・・)頑固だけれど、とにかくこの人は一度懐にいれた者に関してはとことん優しいのだろう。だからこそ3人はお師匠さんが好きなんだろうし、信頼しているのだろう。故に3人は、自分達の願いよりもお師匠さんの願いを優先し、自分たちは大人しくその場を去る。実にカッコいい。お師匠さんは三人にそれぞれの鈴を渡し、3人の思いを胸に天竺へと入る。
しかし話はここで終わらないのでありました。(どどーん)
人を世界を救うお経を授けてくれるはずだった天竺にいたのは、実に高慢ちきで人や妖怪をひたすら見下すもの達。そして三蔵に告げる、「99日の修業の後に死んで自身が経になれ」・・・・・三蔵はそれを受け入れ、老師には3人に事の次第を伝えないようにと願う。
そして3ヶ月、3人はそれぞれの生活を送っていた。
子供を育てに帰った八戒、いつのまにやら金魚と寄りを戻した沙悟浄はまぁともかく、天竺側に残って畑を作る生活を選択した悟空。天竺の経なんかで貧しく餓えた人は救えない、大地に根ざした労働だけが日々の糧を得る。そしてそれによってもたらされる実りは人の笑顔も実らせるんだ、という理屈をここのシーンで見せてますね。三蔵が求めた救いは天竺にはないのだと。実際三蔵大ピンチなのですが(爆)
さてここに凛凛がいきなり登場。いきなり登場していきなりぶっ倒れる。・・・・なんで?(笑)例えば天竺に(泥棒で(爆))忍び込み、三蔵の現状を知って三人に知らせようとする途中に見つかってぼこられた。っつーなら、いきなり瀕死で出てきても驚かないんだけど。何の脈絡もなく凛凛なので、少々面食らう。このドラマはいつもそーなのだ。何かがいつも突然だ。伏線の張り方がへたくそというか。ぜんぜん張ってないというか。それとも見落としているだけなのか。
事情を知った悟空はナマカの元へ飛び、お師匠さんを助けに行こう!と言う。沙悟浄のわざと後ろ向きな覚悟確認にも怯まずに天竺へと駆けつける3人。さあお師匠さんを探せ!ていうか見張りが一人しかいないよ(^^;ここの警備体制って(^^;とにもかくにも三蔵を見つける悟空。しかし閉じこもって死の運命を受け入れようとする三蔵。ここで二人が互いの思いを告げあう。500年も待ったのにあっさりいなくなってしまうのか、人間にとって一番大事なのは生きることだ!と説得する悟空。悟空の手の温かさに真実を見つける三蔵。その時二人を中心に不思議な光の広がりが。自分の意思で牢を出る三蔵。しかし脱出には失敗する(爆)
自分達を見下し、3人を馬鹿にする天竺の者達に怒る三蔵。自分達に逆らうものを許さないと、天竺の者たちは三蔵を追放する。そこへ老師に逃がしてもらった3人が駆けつけて、今度こそ脱出を・・・・しかし悟空が一人残る。4人を追撃するために準備をしているのを察知して、一人盾になって残ったのだ。しかしお師匠の教えを守り、反撃しないでぼこられる悟空。最早死ぬばかりか、というところへ鈴を鳴らしてもどって来る三蔵、沙悟浄、八戒。ナマカだからと。
このドラマシリーズはとにかく説教臭いのが特徴だ。台詞がことごとく説教臭い。まぁそこがいいといえばそうなのだが。いつもは妖怪に説教するが、今回は天竺の高慢な者達に説教する。頑張ったものが一番偉い、と。
既になんだかぼろぼろで、反撃も出来そうにない4人だが、また不思議な光が広がって、広間の者達を行動不能に。いまのうちだ!と天竺を脱出する。命からがら逃げついた廃墟の建物に、瓶からうまそうに水を飲む男が一人。水をくれ、というのをスルーされたので、イラついて怒鳴りつける悟空だがいいようにあしらわれる。この、悟空をあしらって見事な棒術を披露した男。じつはお釈迦様で、マチャアキなのだ(爆)悟空をやっていたころのような見事な棒術を披露し、BGMにゴダイゴのモンキーマジックが流れ、後の悟空の頭の輪を取るシーンとともにマチャアキ版孫悟空へのいいオマージュになっている。
4人がみんなで自分が悪い、罰を!というので、お釈迦様は罰を下すと言う。そして4人に与えられた罰は。それは三蔵がずっと求めていたお経の山だった・・・・!
罰と言ってますがこれはご褒美だろう。自分の力で頑張ったものが一番偉い!というのが今回の軸で、故に正しく頑張ったものには正しく報われるべきなのだと。3人の妖怪の願いは叶わなかったかもしれないけれど、それ以上に素晴らしいものを手に入れ、三蔵はそれに加えて更に経も手に入れて帰還することになったのだから。
・・・・・・・がっ。
ラストでちょっとしたどんでん返しが(爆)お釈迦様が何者かにさらわれて、お経の力がなくなったから助けにいくよ!と・・・・・まてやー!!(笑)お釈迦様がさらわれてどーすんだヨ(爆)ていうかそんなのがこの世界観の中に存在するのか?(笑)
とはいえ。なんだか西遊記は、旅が終わってしまうのがとても寂しい話なので(爆)(マチャアキ版も天竺にたどり着かずに終わったと思うし)なんかこの4人の旅が、いつまでも続くといいなーとか不思議なことを思ってしまうわけなのですよ。本当は旅が終わって平和になるのが一番のはずなのにね(笑)あの、つっこみつっこまれボケてボケられの漫才のような旅が、そんなに危険でも悲しいこともなく続くといいね。ていうか、どこかでまだ旅の途中かもしれない、ね。
マチャアキの役どころ(ていうか使い方)にはかなり満足でした。
配役は予想通りでしたが(爆)「これ痛いんだよね〜」もサイコーでしたよ!
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